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【復興応援隊インタビュー~土と風~ 南三陸町志津川地区】被災した田んぼで酒米づくり 若い力が遊休農地活用

被災した田んぼで酒米づくり

若い力が遊休農地活用

南三陸町志津川地区復興応援隊 中村かれんさん(24)

〔プロフィール〕1991年1月生まれ、札幌市出身。気仙沼市在住。北海道の大学卒業後、2015年4月から復興応援隊として一般社団法人南三陸町復興推進ネットワークに所属。

 

会社員 三浦秀子さん(55)

〔プロフィール〕1960年2月生まれ、宮城県気仙沼市出身・南三陸町在住。同町の佐藤印刷株式会社勤務。「南三陸おらほの酒づくりプロジェクト」の舞台となっている水田の地権者の1人。

 

 

〔宮城県南三陸町〕宮城県の北東部に位置し、東は太平洋に面する。リアス式海岸特有の豊かな景観と漁場を有する。主な産業は漁業と水産業。2015年9月末現在の人口13,890人。東日本大震災の津波で人的・物的に甚大な被害を受けた。2015年7月現在で町内外58カ所の仮設住宅になお4,000人が暮らしている。

 

◆被災した農地を活用した酒米づくり

 

─お二人の活動について教えてください。

 

中村さん 「南三陸町復興推進ネットワークで『遊休農地を活用した酒米づくりプロジェクト』の業務を担当しています。プロジェクトは、地域の田んぼで酒米を育てて酒づくりを行い、まちづくりにつなげようという目的で2014年に始まりました。私は地権者や作業委託者との連絡調整を行ったり、イベントの企画運営を担当しています

 

三浦さん 「私はスタート時点から、仕事でプロジェクトの印刷物の作成などに関わってきました。今年の春からはプロジェクトに田んぼを貸し出している地権者の1人でもあります」

 

中村さん 「実はプロジェクトをスタートさせたメンバーの1人が、

 

2014年度の復興応援隊だった三浦さんの息子さんの智幸さんなんです。その後、私が業務を引き継ぎました」

─2014年度の活動実績と今年の活動状況は。

 

中村さん 「町内の2カ所の田んぼ計約65アールにひとめぼれを作付しました。無農薬栽培に取り組んでいます。イベントとして肥料まきや稲刈り、天日干しなどを行い、町内外から延べ100人に参加していただきました。プロジェクトメンバーのほとんどは農業の素人だったので、地元の農家のみなさんに先生役をお願いしたんです」

 

三浦さん 「最初、被災した田んぼで米づくりをしたいと聞いて半信半疑だったんです。だって、津波で浸水した土地ですよ。海水の塩分が残っているかもしれないし、石だってまだゴロゴロしている。米づくりをしていた私たちが、もうここでは米を作れないと思った田んぼなんです。それを、農業をやったことのない若い人たちが一生懸命動いてくれて、実際に稲が育って。黄金色に色づいた田んぼを見て感激しました。自分の家の田んぼで作られた米がお酒になって、世に出るなんて、すごいことだと思います」

 

◆プロも難色を示した田んぼ

 

─大変だったことは。

 

中村さん 「被災した田んぼは国がある程度まで復旧作業を行いました 。ただし、やはり元の田んぼとはほど遠い状態です。田んぼ周辺の整備や田植えなどは地元の業者に委託しているのですが、直前になって断られてしまいました。苗も発注済みだったのに(笑)。石が残っていて、代掻きの機械が壊れると言われて。仕方がないので追加で改良工事を行いました」

 

三浦さん 「それでもまだ石が残っていると、また断られたんだよね」

 

中村さん 「その後、団体で中古の田植え機を購入し、プロジェクトのメンバーで田植えをすることにしました。操作方法は地元の農家の方に教わるということにして。結局その方はスタッフ全員に操作を教えながら、作業も手伝ってくださいました」

 

三浦さん 「かれんちゃんは南三陸に知り合いもいないし、農業の知識もまったくない中でよく頑張ってきました」

 

中村さん 「田植えができないと言われても、もう苗を買ってましたから(笑)。何とかやらなくちゃ、と。地域を見て、大変なのは自分だけじゃないと思っていましたし。三浦さんをはじめ、住民のみなさんがいろいろと相談に乗ってくれ、協力してくださったことも大きいです。南三陸でゼロからの始まりだった私に、たくさんの1をくれました」

◆応援隊の活動が、応援の気持ちを生む

 

─応援隊の活動をどのように思われますか。

 

三浦さん 「出来上がったお酒を見て『あー、やってくれた!』と思いました。若者たちだからできたんでしょうね。応援隊のみなさんを見ていると、本当に地域のことを思ってくれているのが伝わってきます。若い人に苦労を掛けてと、申し訳ない気持ちにもなりますね。本当は自分たちだけでもっとできることがあるんじゃないか、と。ただ年を取ると、思いはあっても行動できないことが多い。だからこそ私は応援隊を応援しなくちゃと思っています。できることは、『ご飯を食べてる?」と声を掛けることぐらいですが(笑)」

 

中村さん 「三浦さんにはいろいろ相談に乗っていただき、とても助かっています」

 

三浦さん 「かれんちゃんと最初に会った時は、こんな若さで、細っこくて、大丈夫かと思いました。田んぼで朝晩うろついているのを見かけると、心配になって声を掛けてしまう。それが日々たくましくなってきましたね。ある日は会社に長靴で、また別の日は作業着のままでやって来るようになって。一生懸命やってくれているのが分かるので、周囲の住民にも可愛がられています。半年程度ですが、稲と一緒で、南三陸に根付いてきましたね」

 

─中村さんはどうして応援隊になったのですか?

 

中村さん 「北海道で生まれ育ち、大学まで過ごしました。大学入学後に震災が起きて、ボランティアに参加したんです。宮城県に1週間ほど滞在し、物資を配ったのが最初でした。感じることがいろいろあり、頻繁に東北を訪れるようになりました。長期の休みでこちらに来るたび、知り合いが増えて、東北がどんどん身近に感じられるようになったんです。大学を1年休学し、気仙沼の団体でも活動しました。東北で復興支援の仕事をしようと考えたのも、自然な流れでした」

 

◆担い手育成が次の課題

 

─南三陸の現状をどのように感じていらっしゃいますか。

 

三浦さん 「市街地のかさ上げ工事が進み、人の気持ちが前を向き出してきたように思います。私自身、自宅を再建して仮設住宅を出ることができ、
確実に復興に近付いているという実感があります。ただ、どんな街が出来上がるのか。まだ不安は残りますね。工事が終わって具体的な街づくりが始まれば、次の目標が見えてまた前向きな気持ちになれるかもしれません」

 

─活動の課題と目標を教えてください。

 

中村さん 「イベントで大勢の方に来ていただけるのはありがたいのですが、逆に地域の方々を巻き込むのが難しいと感じています。
誰でも自然な形で田んぼに遊びに来たり、作業を手伝ってもらえたりというのが理想。そのためには受け入れ側の態勢を整える必要がありますが、
応援隊の活動には任期があります。引退した農家さんにもう一度活躍していただくとか、Iターンの若者を増やすといった担い手づくりに取り組みたいと考えています。
Iターン希望者向けに、田植え機講習会を開いたり、頼りになる地元の方を紹介したりしています」

 

三浦さん 「活動が継続されれば、来年はもっと協力する人が出てくるでしょう。ただ(応援隊が)1年で辞めてしまうと、『また新しい人か』と思われてまたなかなか進まなくなる。できたらかれんちゃんに継続して活動してほしいと思っています。南三陸の人はゆっくりかもしれませんが、自分のペースで動きます。応援隊のみなさんにも、もっと気を楽にして取り組んでと言ってあげたいですね」

 

 
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