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【復興支援員インタビュー ~土と風~ 丸森町耕野地区】地域資源の活用とゆるやかなネットワークづくりを目指して

 

丸森町耕野地区復興支援員・小笠原有美香さん(32)

〔プロフィール〕1983年9月生まれ、千葉県出身。大学で国際地域開発を学ぶ。卒業後、関東で自然食品を扱う店に勤務。2013年9月より丸森町耕野地区に移住し、復興支援員となる。地域の方々から『オガちゃん』との愛称で呼ばれる。

花苗農家勤務・宍戸将樹さん(39)

〔プロフィール〕1976年5月生まれ、宮城県丸森町出身。仙台の企業に勤務した後、地元丸森に戻り、まちづくりに関わる。耕野地区周辺のゆるやかな若者のネットワーク「こうや部」のまとめ役を務める。

 

〔丸森町とは〕

宮城県丸森町は県の南端に位置し、南西は福島県と隣接している。人口14835人(2015年2月現在)。阿武隈山脈に囲まれた盆地で、町の北部を阿武隈川が流れる自然豊かな地域。耕野地区は町の西部に位置し白石市と福島県伊達市に接している。2015年12月現在267世帯、722人が暮らしている。東日本大震災では福島原発事故の影響で放射線量が高まり、風評被害やそれに伴う人口減少が加速化している。

12年越しの再会

お二人の経歴・現在の活動を教えて下さい

宍戸さん「3年ほど前から花苗農家に勤めています。10年くらい前に仙台から丸森に戻ってきました。当時はここから仙台の会社に通勤していましたが、地元で働きたいと思っていたところ、入っていた消防団の班長の花苗農家を勧められて、現在勤めている状況です。また私は『こうや部』という耕野地区若者ネットワークに参加し活動しています。『こうや部』では、地域の若者を集めて耕野で出来ることについて話し合う若者会議を行っています」

小笠原さん「私は復興支援員になって3年目になります。以前は関東で働いていました。耕野との縁は少しさかのぼって、大学時代に養蚕実習で来たことがあったんです。そして、東日本大震災後に耕野地区で復興支援員を探しているという連絡を受け、数年ぶりに石塚養蜂園代表の石塚武夫さんとお話しました。それがこちらに来るきっかけになりました。復興支援員として、地区の住民自治組織(耕野振興会)と連携しながら、行事のお手伝いや地元密着のマルシェなどに取り組んできました」

 

お二人が出会ったきっかけを教えて下さい

宍戸さん「実は復興支援員として来る前からオガちゃんのことは知っていました。この地域では養蚕実習という大学の農業実習を受け入れていて、うちの家が養蚕業でしたので学生が来ていたんです。その実習で耕野地区に来たのがオガちゃんだったんですね。当時その実習を私も手伝っていたので、顔見知りではありましたね。あれは何年前だろう?」

小笠原さん「12年前ですかね。その当時は『オガちゃん』とは呼ばれず『小笠原さん』と呼ばれていました(笑)。宍戸さんのお父さんとお母さんにすごくお世話になっていたので、10年ぶりに会ったときに、感動と嬉しさで泣いていた記憶があります。宍戸さんと会っても泣かなかったんですけどね(笑)」

 

 

よそ者とともに“楽しい”地域をつくる

復興支援員としての小笠原さんの活動をどのように見ていますか

 

宍戸さん「活動を見ていて頑張っているなと感じます。通常の仕事は、『この作業終われば終わり』という、ゴールが見えるじゃないですか。オガちゃんがやっている仕事は、どこまでやったらゴールなのか、成果が挙がったのかを見るというのは受け手である住民との兼ね合いもあるし、難しい仕事だなといつも思っていましたね」

 

小笠原さん「それは初めて聞きました」

 

宍戸さん「自分は何も考えていないようで(笑)地域のことを考えたりするときもあって。どうにかしないといけないなと考えていたところにオガちゃんが石を投げてくれたから、小さい力でも協力出来たらなと思って重い腰が上がったのかもしれません。できることはやるよと」

 

小笠原さん「私は支援員の活動として、1年目は地域の方などに声をかけて頂いたイベント、会合などはほとんど顔を出してきました。2年目は1年目に作った繋がりを生かして、自分でイベントを企画・実行できた段階です。その中でプライベートの機会も通じていろんな人と会うようにして、私が企画したイベントに来てもらったりしていました。3年目の今年度から、やっと地元の方たちと一緒に出来るようになったと感じています」

 

小笠原さんが入ったことで耕野地区にどんな変化が起きていると感じますか

 

宍戸さん「耕野に地区外の知らない人が訪れるようになったと思いますね。私もイベントを通して、新しく知り合いになった人もいます。それが私の感じる変化ですね。自分個人としても、オガちゃんが入ってきて変わったことは確かですね。外から来たオガちゃんが活動していて、自分は地元にいるのに関わらないとは言えないし。まちづくりに向けて大きなきっかけになったかな」

小笠原さん「ここはもともと震災前はIターン移住の方が多い地域でした。わりと外の方が来ることに対して、アレルギーの少ない地域だなと思っていました。田舎なのに『すごいな』、『普通と違う』と思っていました。ただ震災をきっかけにIターン移住の方が地区外へ避難、移住されたこともあって、震災前くらいの人口に戻ることには難しさを感じています。自然な人口減少もあるので、震災前には戻らないでしょう。少し考え方を変えて、現状を踏まえた地に足が付いた楽しい地域になればいいなと考えています。Iターン移住の方も地元の方も別々に活動するのではなくて、互いの思いが重なる部分を増やしていきたいと思っています」

 

地域の中で世代を越えた繋がりを深める

現在感じている課題はありますか

 

小笠原さん「私の中では、世代を越えた繋がりが欲しいと思っています。関わってくれる人のばらつきが、世代によって大きいと感じています。人脈は地域の方々に助けてもらわないとできないと思っています。みんな忙しいし、興味関心も違うので、出来る範囲で参加してもらえるようなことをしていきたいです」

 

宍戸さん「人付き合いは、いろいろ難しさがありますね。そこをまとめていくのが大変だと思っています。みんなで一つの方向性に行けばいいのですが、そこが大変かなと思う」

 

小笠原さん「地区としての大きいイベントは月一回くらいありますが、その他に地区行事や役員の集まりがあり、実際の活動も入ってきます。そしてそれぞれ個人が仕事を持っている。私も復興支援員の活動として、耕野に来た当初から、イベントや若者会議など様々な活動をしてきました。ただ、会議の頻度等の判断の甘さから、いろんな会議を重ねてしまいました。そんな状況ではやはり『会議疲れるよね』という雰囲気になり、『会議やりたくない』となってしまい、『モチベーションが上がらないよ』とか、『コアメンバーとして入れられるのは嫌だ』『自分はフリーでいたい』などと言われてしまうこともありました」

 

宍戸さん「人が少ないからみんな忙しいんだよね。役職が3、4つ重複している人が多いんです。とうとう自分自身も消防団のほか、この春から一つ交通安全の役割も与えられました」

 

小笠原さん「結構イベントが乱立している状況にあると思うんですね。また、ある程度自由に動ける私がいるからかもしれませんが、住民自治組織に対して、行政や企業などからイベントの参加・運営や、研修受け入れの話が舞い込むようになりました。しかし、一方で業務の整理をしきれないと人手不足になってしまう状況です」

 

 

 

地域資源の活用とゆるやかなネットワークづくりを目指して

今後取り組んでいきたいことは何ですか

 

小笠原さん「一つは、これは私の活動の中でどうこうというのは難しい話ですが、地域のイベントや行事が多いので、少し整理をする機会が必要だと感じています。また、実は耕野は干し柿の名産地なんですね。すでに20年近く、地区では干し柿づくりの体験会でお客さんを招いている実績があり、他にも干し柿づくりの作業を援農ボランティアに手伝ってもらう事業も3年ほど前からおこなっています。こうした体験会やボランティアの取り組みを組み合わせ、その流れから後継者、干し柿農家をやりたい人の受け皿づくりに繋がったらなと思ってます。日本各地で、主に若い人向けに、農作業のボランティアやアルバイトを受け入れる取り組みがされていると聞きます。そういった若い人と後継者不足の課題をここ耕野で繋げられないかと考えています」

宍戸さん「耕野は人口減少地域といわれる中で、地域の誰もが知っているネットワーク作りに取り組んでいきたいと思います。親の世代間での繋がりを持っていても、高齢になり、一人暮らしになった時にその人のことを周りが誰も知らないという状況は危ういと感じています。いきなり何か起こすというのは難しいと学んだので、支え合いを作っていく意味でも少しずつゆるやかに地域を巻き込んでいきたいと思います」

 
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